【脱・旧日本感覚】せめて感覚くらいは世界基準でいたい!という話

世界&時代感覚とズレがない自分でいたい

先日、SNSで芸能人が呟いていました。

「日本やばい」と。

海外を満喫して帰国後、世界と比べた日本の違和感を端的に呟いたんだと思います。

井の中の蛙。

 

例えばマスク。

海外では、すでにマスクをしてない人のほうが多いらしいですね。

ただ、おそらく完全にNOマスクというのではなく、TPOで「自分の意志で使い分ける」という感じではないのでしょうか?

だとしたら、外では外すでしょうし、人混みや指定されればマスクする、そういうON/OFFを個人に委ねるというか。

 

日本はどうでしょうか。

ほとんどの人がマスクをしています。

マスクなしの人も見かけるようになりましたが、まだまだ少数。

国から都市へ、都市から企業へ、企業から従業員へ…

マスク着用について「何かしらの指示」がなきゃ、「マスクを外すことはマナー違反」みたいな空気。

 

根本的に、「自立感覚」が海外と日本では全く違う気がします。

(…海外に行ったことがない奴がゆーとりますが 笑)

 

10代の頃から、憧れていたのが外国人だったからかもしれません。

中学時代はマイケル・ジョーダン。

高校時代はブルース・リー。

役者志望時代はエディ・マーフィーやブラッド・ピット。

ミュージシャン志望時代はブルース・スプリングスティーンやボブ・ディラン他。

現在も、憧れている人は全て外国人です。

 

彼らのインタビューやドキュメンタリーをたくさん見てきました。

話してる「芯の強さ」が全然違うと、ずっと感じていました。

もちろん日本人のアーティストでも凄い人はたくさんいます。

長渕剛さんをはじめ、いろんな方のインタビューや言葉を見聞きしています。

何かが違う。

 

世界で活躍している(していた)、例えばイチローさんとか?

言葉の説得力が違うし、感覚的にスッと入ってくる。

 

枠が違うことからくる「外国人との違い」なのかもしれない。

枠っていうのは、要するに国のシステムっていうか。

契約とかもそうですが、個人が「アーティスト」であるという意識から。

 

ギラッギラに尖って、自分自身をアピールして、そして実力を認めてもらって。。。

日本人的感覚では「うざったい」「調子こいてる」「身勝手」と煙たがれるような積極性かも。

でも、それが普通だとしたら?

 

日本人感覚のままでは、いろんな面で太刀打ちできない気がします。

で、マスクの話に戻って。

マスクを自分の意志でどうこう「する気のない」、和の精神。

周りがそうだから。

迷惑をかけちゃいけない。

社会人としてのマナー。

全部、コントロールされてるんですよね。

 

僕自身もそう。

マスクだって、正直意味あんの?って思う場所でも一応着けている。

外なんて、要らないよねって。

電車や屋内の混雑してる場所では、まあ予防意識ってことで良いとして。

 

きっとニュースで「マスクを外しましょう」とでも言われない限り、NOマスクになるキッカケは来ない気がする。。。

 

「ガラパゴス」って言葉がありますが、まさにそれ。

海外とは大きくズレてしまっている日本的感覚?

 

個人的にはね、実はマスクは悪くないと思ってるんですけどね。

鼻詰まりが全くなくなったのは僕だけじゃないはず!

鼻が詰まってる日がない。

あと、単純にインフルエンザとか風邪の予防になってますよね。

 

そんな個人的なことはいいとして💦

何が言いたいかっていうと。

日々の生活、仕事の考え方、アーティストとしての活動、全てにおいて世界とは「感覚」が違うことが、僕はとてももどかしい。

悔しい…という感じじゃなくて、「マズい」って感じに近いかも。

 

だから、冒頭の芸能人のツイート「日本やばい」に、なんか感じるものがあったんです。

 

別にプロのミュージシャンで活躍してるわけじゃないし、世界を股にかけて働いてるわけでもない。

そもそも英語ワカリマセン💦

特に音楽活動において、アマチュアで好き勝手に音楽を続けよう!と思っているからこそ、日本的な「かくあるべき」みたいな呪縛から脱したいんです。

 

オーディションを受けて、事務所に所属?

→大人たちのお金稼ぎっすわ

 

ライブハウスでいつか花咲かせる!

→99.9%の人はそのまま歳をとっていくんでしょうな。。。

デモテープが誰かの耳に止まって…

→そのままゴミ箱に捨てられてそう。。。

 

日本的「音楽活動」、特にミュージシャンとして肩書きを持てるのって、レールの上に乗れた人って感じがするんです。

つまりは、プロになれた人ね。

プロセスはさまざまでしょうけど、とにかくミュージシャンという「職業」になれた人。

そうじゃなきゃ、諦めろ!というのが常識的な感覚かな。

 

お金を稼ぐわけだから、シビアなのは当然としても。

音楽を続けるって、そんなに堅苦しいもんなの?

 

僕は運がいいと思ってます。

 

音楽を辞めようと思った頃。

すでにインターネットが普及していて、個人での発信もバンバンできる時代。

自分の音楽を聴いてもらう。

それってプロにならなきゃダメなの?

 

自分で配信すればいいじゃん。

自分で売ればいいじゃん。

自分のHPで情報発信すればいいじゃん!

そう。自分でやればいい。

それができる時代なんですよね。

 

そんな時代なのに、古い日本的な「常識」に囚われてたらヤバいでしょ。

僕は僕の音楽しか作れない。

世界の流行に乗れてるわけもなく、ましてや世界から見たらダニ?塵?存在してる?

(そこまで自虐せんでも💧)

 

でもね。

せめて、世界基準の「活動する感覚」とか「時代に則った自由な活動意識」を持っていたい。

脱・日本的感覚。

日本人の良い部分は大切にしますけどね。

 

サウンドハウス

 

まだまだ囚われている「仕事観」

毎日のように、Kazumichiワークスは何ができる?って自問自答しています。

まあ、仕事ですよね、要するに。

個人事業主、フリーランスとして活動していく以上、稼ぎを得られる何かをしなきゃいけないわけで。

音楽にしても、ブログやその他にしても、少ないですが収益はある。

でも、事業としての稼ぎと言えるほどの額じゃない。

当然、生活できるレベルでもない。

 

このままじゃまずいよなぁ。。。

精神科病院の清掃バイトで、患者さんの叫び声を聞きながらいつも考えている。

「(フリーランスとして出来る仕事、仕事…)」

 

それ自体が、「かくあるべき」という仕事観に囚われてしまっているのかもしれない。

仕事を取って納品して報酬を得る。みたいな。

動画編集、プログラマー、カメラマン、ライターなど、それっぽい職種ならば「かくあるべき」レールに乗ることを目指すのが良いのかもしれない。

 

ですがKazumichiワークスは、どれにも該当しない。。。

 

「カメラマン」は脱サラ当初のメイン事業にする予定でしたが、全く仕事として出来ず。

今は「誰が撮るかこのやろー💢」ってな感じですよ。 笑

(それは冗談ですが、フリーのカメラマンは無理だと感じてます)

 

少額とはいえ結局稼げてるのって、自分の音楽作品だったり、ブログだったり。

中途半端に遠慮しないで、自分のクリエイティブにもっと力を注ごう!

それが、今のKazumichiワークスの現状です。

 

仕事とは言えない?

そうかもしれません。

常識でいう「仕事観」からしてみれば。

 

だけど、自分が生み出したもので少なくても稼ぎがあるわけです。

これは仕事と言っても良いんじゃない?

 

仕事の在り方を決めつけるな。

 

「職業は自分自身」

これ、Kazumichiワークスの理念です。

現実の日々と、頭の中で思い願っていることは全然違います。

正社員として働いてる方々を見てると、絶望的な現実しか感じません。

不平不満、陰口、刺々しい言葉や雰囲気。。。

働くのが楽しい?

んなわけないじゃん!そんな顔してる人ばかり。

 

僕はそうなりたくないから、Kazumichiワークスなんです。

働く形や「これが仕事」と囚われてる社会である限り、僕は働きたいと思う職場なんてあるわけがない。

 

危機感は持ってなきゃいけない。

でも焦るな。

ギラっとアンテナ張って、自分の未来へと向かおう。

 

会社員じゃない、個人事業主なんだから。

自分の信念を「働く形」に育て上げたい。

 

世界の感覚を知って。

時代の感覚に柔軟な意識で。

 

大事な部分で「ズレてない」自分でいたいもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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