君の心へ続く長い一本道(『青春の影』より)

昔のドラマを観て

先ほど書いたnoteの記事と連動してるような内容になってしまいます。

昔って、「ドラマがヒット=主題歌が爆発的ヒット」っていう図式がありました。

 

東京ラブストーリー=「ラブ・ストーリーは突然に(小田和正)」

101回目のプロポーズ=「SEY YES(チャゲ&飛鳥)」

ひとつ屋根の下=「サボテンの花(財津和夫)」

他にもまだまだありますね。

 

小学生〜高校生、多感な時期にたくさんのTVドラマを観ていました。

しかも、感動する(影響を受ける)作品がいくつもあって。

それは僕だけじゃなく、社会現象として人気作品となり、関連する音楽もメガヒットして。

 

YouTubeで「ひとつ屋根の下」というドラマをあらためて観て、ビックリするほど泣いてる自分がいました 笑。

感動レベルが桁違い。

その要因の一つでもあるんですが、挿入歌ね。

財津和夫さんの「青春の影」という曲があります。

有名な曲なので、、聴き覚えがあるかたも多いはず。

改めてドラマの作中に流れてくるのを聴いた時。

 

「これだよ。自分がすごいと思う歌の感じは、こういうパワーだよ!」

 

そう感じました。

近年聴いている音楽、自分で作る歌、いづれにしても。

大切な理想を思い出させてくれるような、そんな感動がありました。

明らかに違う歌のエネルギー

ドラマの内容と相乗効果があってなおさらかもしれませんが、感情をグッと掴まれるような「青春の影」の歌い出し。

一瞬で泣く 笑。

お前が歌うんかぁい!

(このくだりいる 笑?)

実際のドラマでは、マジで泣けます。。。

 

「歌のパワー」って言い方をするじゃないですか。

例えば、何か世の中が大変だったり、生きていく上で心の支えになる的な。

一方で、音楽で救われるなら誰も苦労しないよ!っていうリアリズムもある。

 

僕は両方こそが音楽だと思っているので、音楽を特別崇高なものとしないし、不要だとも思わない。

ただ思うのは、時代によって明らかに「音楽(特に歌)のエネルギーが違う」ということ。

個人的意見で言わせてもらえば、昔の歌には良質な感情が盛り込まれていた感じがするんです。

 

現代の歌だって感情がないわけじゃない。

でも、時代や生活の変化なのかぁ。

感情まで、デジタルチックにイガイガしてる気がして。

個性的な歌やとんがった歌があっても、なんか邪悪を感じる。

別にボカロを否定するわけじゃなですが、個人的にはあれは「音」で、歌じゃない。

 

歌の重さが全然違うイメージです。

言葉や生演奏のズッシリした感情があった昭和や平成黄金期の歌。

制作環境として今は色んなことが出来るのかもしれませんが、血の気が無い。

 

そう。音楽に血の気がないんです。

何かしらの感情が乗ってるとしても、血の気がないという感覚です。

だから新しい歌が聴こえてきても、そもそも心と相性が合わない。

だから興味もないし、なんの感動もない。

一瞬流行って忘れ去られる。。。

 

僕は自分で歌を作るので、音楽制作の大変さや、プロのアーティストの凄さは一応わかっているつもりです。

それを踏まえた上でも、やっぱり最近の歌は感動しないなぁって思うんです。

自分ごときが生意気なこと言える立場じゃないですけどね💦

音楽制作に情熱を燃やすひとりとして、リスナー視点での正直な感想です。

 

昔の歌は良かった。

その意味に含まれるひとつとして、歌のエネルギーが強かったというニュアンスがあるのでは。



どんな歌が作りたいのか

偉そうにこんなこと述べていますが、製作者側にたった場合。

ましてや僕なんぞ、アマチュアしかもプロミュージシャンですらないシンガーソングライター。

 

お前の歌なんか、誰が聴くんだよwwwwww

ええ、ええ、わかっていますとも💧

現実はキビいしいのです。

シンガーソングライターを目指して音楽活動をしていた頃から、嫌というほど悔しい思いをしてきましたから。

 

それでもね。

音楽制作が好きなんですよ。

歌を作ることがね。

ミュージシャンを諦めて、フリーランスとして音楽制作に関わる働き方で暮らせるようになりたいという夢。

この点では、現代の方が可能性があると思ってます。

10年前までは、「音楽で成功=プロになって活動する」というのが、一般的だったと思うんです。

でも、次第に個人で活動するというスタイルが広まってきて、さまざまな土俵があれど、音楽活動の自由度が増えました。

ネットの普及により、起業や決済システム、ECなど、運営や流通の形も大きく変わっています。

まさに、誰しもが夢を自分で切り開いていく時代だと思うんですよ。



話が逸れましたね。

とにかく、僕は僕なりの音楽生活を追求していく中で、良い歌を作りたいと常に思うわけです。

その良い歌の定義ってなんなん?

 

それが「青春の影」を聴いて感じたような、エモーショナルなエッセンスがいかに含まれているか?って部分。

僕なりにそれを求めるために必要なのが「人間味」だと感じています。

 

音楽制作において、機械に頼る部分はたくさんあります。

DAWがその最たる象徴。

これがあるからこそ、音楽制作の夢が尽きない。

でも、あくまでも「人間が演奏して歌ってる」という感覚を忘れないようにしたい。

機械的正確さよりもカズミチという人間が演奏して歌ってる音楽。

それを個性と呼べるように精度を高め良質にしたい。

時代遅れも良いじゃない

YouTubeで昔のドラマを観ていて、低画質が全く気にならなかった。

結局、ある程度の質があれば、感動はまた別要素にあるんだなって思いました。

音楽も、ハイレゾ云々は素晴らしいかもしれませんが、「レコードが最高」と言われるように高解像度だから良いというもんでもないんでしょうね。

 

時代遅れな感覚として笑われちゃうかもしれないような「根本的な何か」を大切にしようと思います。

なんか昭和っぽくない?www

なに?80年代?www

そんな酷評も結構じゃないですか。

だって、現代の音楽より心に近づこうとしてるんですから。

 

君の心に続くのは、LINEなんかじゃない。

結局は手紙だったり、最高峰は目の前で直接伝えるというアナログな一本道なんだと思う。

人間の心には、人間の声じゃなきゃ。

僕の名前も一本の道。

残念ながら、どでかい石ころばっかり転がってて、邪魔でまっすぐ歩けない 笑。

ゲームみたいに飛べるわけでもないし。

歩んでいくのは生身のこの足で、歌っていくのはこの声です。

時代遅れのおじさんの戯言?

 

だって、おじさんだもん 笑。

 

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