Kazumichiワークス
北海道網走市出身。
映画俳優をめざし、高校卒業後上京。
杉並区高円寺の今はなき松島荘という小さなボロアパートから始まった。
オーディションとバイト、いくつかの養成所でレッスンを受けながら日々を送っていたが、一度絶望。
悩み通した挙句、役者を目指すことは諦めた。
バイトしかしてない自分のくだらなさにモンモンとしていた頃、長渕剛さんの映画で「シェリー」という歌に涙した。
ちょうど失恋も重なり、自分が情けなくて泣けてきた。
子供の頃、当時流行っていた「たま」というバンドのマネごとをして遊んでいた。それが最初のギターとの出会い。
しかし学生時代はほとんどスポーツをしていて、楽器など興味もなかった。
役者を諦め、抜け殻のような日々。
大久保の中古楽器屋で買った5,000円のアコギで、なんとなく長渕剛の弾き語りを練習していた。
子供の頃少し弾いていたこともあり、簡単なコードであればすぐに弾けた。有名な歌を3曲ほど歌えるようになった頃から、どんどん弾き語りが楽しくなった。
自分の胸のモヤを晴らすかのように、ひたすら長渕剛の歌を弾き語る。
そのうち「自分の歌を作りたい」そう思った。
見よう見まねで歌詞やコード進行を考え、オリジナル曲を作り始める。
やがてバイト先の音楽をやっている人から教えてもらったりしながら、MTRを使って録音を始めた。
その辺りから。
誰かの歌よりもとにかく、「自分の歌」を歌うことにこだわりはじめた。
やがて少々遅めではあるがライブハウスデビュー。
基本的に気が小さく?イケイケな性格ではないため、ライブハウスに出演したいと思っても「自分の腕じゃ無理じゃないか?」と思って勇気がなかった。
引越ししたタイミングで、まだバイトも決まってない時にライブハウスのオーディションに申し込んだ。
合格して、それから数年間同じライブハウスで毎月ブッキングライブ出演。
音楽活動については書ききれないほどの思い出があるので割愛。
ライブハウスに出始めてから約10年?
オリジナル曲を作りはじめた頃からを含むと15年くらい。
シンガーソングライターとしてプロになりたいと夢見ていた。
しかしひとつまみの人間しかプロのミュージシャンにはなれないと、もっと言えば、ミュージシャンとして売れるなんていうのはとんでもなく高い壁だと知った30代半ば。
(本当はもう少し前から厳しさを感じてはいたが)
バイト先の社長から直接「正社員にならないか?」というお声がけをいただき、しばらく悩んだ。
僕にとっては「正社員になる🟰夢を諦める」だったから。
でももう疲れていたのかもしれない。
「わかりました」
そして初めての正社員としての日々。
バイト時代も含めて6年ほど?
その製造工場で働いていたが、コロナをきっかけに退職を決意。
正社員もわるくなかったが、夢ばかり見てきたKazumichiワークスとしては、正社員という人生に夢はなかった。
働き方やネット環境の進歩もあり、個人でいろんなことができる時代。
「あきらめる」という考え方自体がもうナンセンスなのでは?
そう。
Kazumichiワークスは「やりたい事をやるかやらないかの個人時代」でもう一度、今度は死ぬまで夢を見ようと決めた。
社会的な地位とか暮らしのレベルや仕事とか、そんなのどうでもよくなった。
もちろん結婚や家族など真っ当な愛の形もとっくに諦めている。
そのかわり。
この人生を全て歌にしよう。
そんな思いからできた、音楽人生での座右の銘。
「MAKE BLUES HAPPY(ブルーズを幸せに)」。
映画俳優もシンガーソングライターとしてのプロデビューも、からっきしダメだった。それでもやりたい情熱だけで生きてきた人生はブルーズと表現したくなるほど暗く低く惨めなものだった。
でも自分の人生を卑下したくない。
どうせ一度きりなら、どんな人生であっても幸せを感じたい。
自分の中のBluesが歌に変わり、幸せだ!と感じたい。
Kazumichiワークスの歌う理由は?ときかれれば、そういうことだ。
現在、メタバースプラットフォーム「Cluster」にて「Acoustic LIVE」というイベントを毎週末開催。
アイドルやカラオケ、生演奏だとしてもカバーが多い中で、オリジナル曲の弾き語りという無骨なイベントを貫いている。
ライブハウスで活動していたのと同じことを、いやもっと情熱を持って「ライブ」をしています。
新たな時代の音楽活動として。
Kazumichiワークスはメタバースに大きな可能性と面白みを感じている。
ライブ活動、作品リリース。
そしていつかは、ビジネスとして自分の音楽を活かせる機会を。
フリーのシンガーソングライターとして、メシが食えるくらいの音楽人生を送るのが今の夢。
メタバースで歌ってるって、それただの配信じゃんw
…そう思われるかもしれない。
だからKazumichiワークスは舐められたくないし、一生懸命にガチンコでイベントで歌っています。
それゆえに、あまり人気があるclusterイベントとは言えないが、楽しみにしてくれてるお客様も結構いる。
偶然見た萩本欽一さんのエピソードと、世界的なラッパーであるスヌープ・ドッグの言葉が今は胸に響いてる。
欽ちゃんが若い頃。師匠に、「たった一人のファンがいるなら、絶対に辞めるな」って励まされたとか。
ラップ界のスター、スヌープ・ドッグ。
「自分のオリジナリティを大事にして、それを極めろ」という。
芝居やお笑い、もちろん歌の世界も。
上手いとかヘタとかっていう次元で括られてるようじゃその世界で活躍は出来ない気がする。
「そのひとのファンなんだ」
そう思われるのが表現者にとって最も大切なのかもしれない。
Kazumichiワークスはずっと歌を作り続けている。変な歌も多い。ラップまで始めた。
悔しさばっかりだけど、聴いてくれる喜びもたくさんある。
そんなメタバースでの音楽活動を、KazumichiワークスはAcoustic LIVEで続けている。
2024年4月8日 Kazumichiワークス